私がゴルフ屋を始めたのは、ゴルフが好きだったからでは無い。単なる趣味の車のレース車両の修理代金を捻出する為のアルバイトに過ぎなかった。
当時は(30年前)バブル後半で、強烈に忙しかった時代で同業者が少ない時代でした。パーシモンの全盛期で、ヘッドの塗り替え修理が毎日40~50本シャフト折れ修理も20~30本、そのほかの組み立てなどを考えるとかなりの仕事量をこなしていた事を懐かしく思います。
アルペン・ビクトリア・オリンピック・ヒマラヤ・ゴルフ5・ミナミスポーツなどの量販店、東海3県のプロショップの修理を集めて修理をしていました。
強烈な修理品ばかりだったので対応能力が付いたのでしょう。
調整は県内のプロ・トップアマのクラブの調整を任されていました。
当然の事ながら365日休みなしで、朝9時~翌朝3時が定時の超ブラックでした。
ブログ再開にあたり、少しづつクラブの調整について書いていきたいと思います。
コメントをお書きください